みなさんは誕生日会というと、どの様なイメージをお持ちだろうか?
きっと心地のいい思い出を頭に浮かべる方が多いに違いない。
今回は貧困サバイバーの僕が体験した、
僕の誕生日会ビックリエピソードをご紹介していこうと思う。
この話をキッカケに少しでも多くの人が、
子供食堂のようなボランティアに理解を示し手を差し伸べて頂けたら
筆者としても記事を書いた甲斐があるというものである。
では本編に入ろう。
プレゼントを買うお金がない
そもそも貧乏な家では誕生会などの年間イベントは当然ない。
少なくとも子供が5人もいる我が家ではあろう筈もない。
これでは話が終わってしまうが、本題はここからである。
我が家では誕生日会が無いはないのだが、
学校に通っていると不思議な事に同級生の誕生会にお誘いを受ける事もある。
憧れの誕生日会に呼ばれるのだからうれしいに決まっている。
「うん、行く!」二つ返事でOKした。
しかしながら大きな問題が、僕の前に立ちはだかる。
「お金がない」
誕生日プレゼントを買うお金が「ない」のである。
「祝う気持ちが大事なんだよ!」というのはもちろん正論なのだが、
プレゼントが無いのは「誕生会として成立しないのでは!?」
子供心にもプレゼントの必要性は十分に感じる。
しかも同級生は本当に僕に来てほしくて誘っているので余計に切ない。
大人になった今なら「お金がない」のだから、適当な理由をつけて断ればいいと考えるが、
「貧乏」は子供にとっては絶対に知られたくない事なのである。
自分の話しながら、「切ない!」切なすぎる。
この時の僕の心境は、「誕生会に行きたい!」「断ったら貧乏がばれるじゃないか?」「お金がない」「どうしよう!」というループを心の中で繰り返していた。
みんなで買いに行く!?
困った事は続くもので、「プレゼントをみんなで買いに行こう!」という段取りになったからさあ大変である!
しかも今から僕の家にいってお金もらってから買いに行こうという事になった!(逃げられない…)
一応、子供の誕生日プレゼントなので1,000円以内と予算は決まってはいたが
「お金がない」(2回目)
当然だが、胸中穏やかではなくなっている。
「誕生会に行きたい!」⇒「断ったら貧乏がばれる!」⇒「お金がない!」⇒「親に相談するか?」⇒「親はお金を思っているだろうか?」⇒「親を困らせないか?」⇒「どうしよう!」
読者の中には「1,000円ごときで大げさだな」とお思いであろうが、
たかが1,000円、されど1,000円!当時の私には自力ではなんとかできる金ではないのである。
追い詰められた僕は意を決して親に相談をしてみる事にした。
母から渡されたもの!
ついに僕の家に着いた。(残念だが・・・)
事情を説明し、誕生日プレゼント代1,000円が欲しいと僕は母に告げた。
残念ながら、やはり1,000円というお金を母も持っていなかった。
そんな母が僕に手渡してくれたもの、それは「通帳と印鑑+200円」だった。
親として「我が子に惨めな思いをさせない」という母なりに気遣いだったのであろう。
読者の皆さんはこの「通帳と印鑑+200円」がどういう意味かおわかりだろうか?
そうこれが当時の我が家の全財産である。
母はこの通帳の中の800円と手渡された200円で1,000円になるから
これで誕生日プレゼントを買いなさいという事なのである。
友達に事情を説明できない!
皆さんもATMというのは1,000円からしか引き出せないのはご存じだろう。
だから母は通帳と合わせて印鑑も僕に手渡してくれたのだ。
これで1件落着と言いたい所ではあるが、お金を手にするには銀行に行かないといけない。
「玄関先でまつ友達はどう説明すればいいか?」
大人になった今なら適当に事情を説明して、玄関の前で待つ同級生に先に行ってもらう事が最善な方法と分かるのだが、
「なぜ親は1,000円すら持っていないのか?」
ボロボロの家の前で待つ同級生達に、僕は良い説明ができる自信がなかったのである。
裏口からの逃亡?
考えあげいた末、貧乏を隠したく取った僕の行動は、
「同級生を家の前にまたせたまま銀行にお金を下ろしに行く作戦」である
決して逃亡をしたわけではない。
作戦内容こうである
- 家の裏口からでて、数百円を銀行に下ろしに行く!
- また裏口から家に帰り、玄関の前に立つ同級生の前に何食わぬ顔で再び現れる!
- そのまま誕生日プレゼントを買いに行くという作戦であった!
とりあえず時間がない。
早速、オペレーション開始である
嫌われても隠したい!
30~40分ぼくの家の前で何の事情も知らず待たされる同級生
遅くなった理由を
「家のお使いをしてきた。」とごまかした。
当然の事だが、事情を知らない同級生は
マジ切れで「普通、同級生を待たせて家のお使いをしに行く?(怒)」
それでも「ごめんごめん」傷ついていないふりして笑顔で謝る。
気まずい雰囲気が流れ、惨めで泣きたい気持ちで僕の心は張り裂けそうだった。
その後、何とか誕生会はいったもののあまり楽しめないばかりか
しばらくはこの事を同級生に言われ続けた。
それでも同級生に嫌われるより、絶対に貧乏を知られる方が子供にとって嫌なのである。
当然、2度とその同級生達から誕生会に誘われる事はなかった。
こうして貧困というものは、その子が友達を作るチャンスや信用を容赦なく潰していくのである。
理解されない子供達
いかがだろうか?
これはフィクションではなく実話なのである
ちょっと嫌な気持ちになった方もいたかもしれない。
これが日本の貧困の実態なのである。
あらゆるコミュニティーから断絶され、悪意のあるなしに関係なく世の中と交われない子供達と親。
周囲にも理解されず、周囲に助けを求める事もできない子供達。
現在もこの様な事が起こっているのが僕にはたまらなく切ないのである。
彼らの居場所はどこにあるのだろうか?
僕の夢
現在はお金に困る事はなくなったが僕だが、
僕が僕であるためのアイデンティティーとして
僕は子供たちの「安心できる場所」子供食堂を作るのが夢なのである。
誕生会あり、運動ができ、マンガが読め、食べ物があり、ゲームができ、勉強ができ、将来に夢や希望を抱ける場所。
なにより「痛みを分かち合う仲間」が居るそんな場所を僕は作りたいのである。
周辺のコミュニティーが子供を守り、そして大人も子供達に喜びを教えられる。
けっして簡単な事ではないけれど、ぜひ実現したい夢である。
もし考えに共感して頂けたらこのブログを応援して頂けるととても助かる。
こんな話に最後お付き合い頂き感謝申し上げる。
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